永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを
知ることであります。」ヨハネ17:3

創造主であるイエス・キリストは神であり、また神が世につかわされたお方です。永遠の命は、神と神がつかわされたイエス・キリストを体験によって知る時に始まります。今日多くの人がイエスを知っていると言いますが、実際にはイエスを知ってはいません。つまり、彼らはこのお方につい44て4は知っていますが、このお方を4知ってはいないのです。
子供は時や状況にかかわらず、元気でも病気でも、強くても弱くても、うれしくても悲しくても、自分の父親と母親を信じ、信頼し、たよっています。それはその子供が自分の父親や母親を「知っている」からです。
多くの人々は、嘆かわしいほどキリストを知りません。それは、彼らが罪を喜んでいるからです。また、彼らがこのお方を知ろうと決心しないからです。彼らは自分自身の思いに従いたいと望んでいます。彼らは自己否定を実行しなくてもキリストに従うと公言できると思うときは、キリストの側にいます。しかし、彼らが自分自身を否定するように要求されると、もはやこのお方に魅力を感じないのです。
自分はキリストの友であろうか、敵であろうか。この問題はわたしたちの永遠の利益にかかわっています。わたしたちは自分たちの立場を明らかにしなければなりません。わたしたちは揺れ動く偶然の信仰にたよるわけにはいきません。わたしたちはたくみに考案された作り話に従っているのではないと言えなくてはなりません。キリストはわたしたちの個人的な救い主であります。このお方についての表面的な知識では役に立ちません。わたしたちの知識は実際的でなくてはなりません。その知識がわたしたちをこのお方に似た者にしなければならないのです。
わたしたちが本当にイエスを知るとき、子供が自分の母親や父親に対してするように、いつでもどこでも信じ、信頼し、より頼むことは難しいことではありません。またわたしたちの良心は罪を犯すことを許しませんし、許すことができないのです!「すべて神から生れた者は、罪を犯さない。神の種が、その人のうちにとどまっているからである。また、その人は、神から生れた者であるから、罪を犯すことができない」(ヨハネ第一3:9)。神と、神がつかわされたイエス・キリストを体験によって知ることは、人間を神のみ姿に変えるのです。
神を知ることは人の特権であります。そして特権として神を知るときに、わたしたちの生活は変わることのない神への従順の生活になります。キリストのご品性を正しく理解し、神とまじわることによって、罪はわたしたちにとって憎むべきものとなるのです。
「聖書を調べなさい」とキリストは言われます。なぜなら、それはキリストを証しているからです。もしあなたが本当にこのお方を知りたいと強く望むのであれば、知ることができます。「聖書を調べなさい」。なぜなら、あなたはそれによって永遠の命であるお方を知ることができるからです。「このお方を眺めなさい」。なぜなら、眺めることによって、あなたはこのお方のみ言葉に従うことができるからです。「隠された宝石のように、探り続けなさい」。「キリストのみ言葉を瞑想しなさい」。そして「このお方が自分にとってどういうお方かを学びなさい」。あなたがこのお方を知り、このお方を眺め、このお方について語るとき、あなたはこのお方と共に生きる準備ができるのです。