「愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている。」ヨハネ第三2

世界は病んでいます。人の子らの住むところはどこも苦難に満ちています。どちらを向いても人々が救いを求めています。
健康の法則に関する教育が、今日ほど必要な時代は今までありませんでした。生活をらくにし、便利にすることについてはいろいろな方面で驚くほどの進歩を遂げ、衛生問題や病気の治療に関しても同様ですが、それにもかかわらず、体力、耐久力の減退は憂慮すべきものがあります。
わたしたちの人工的な文化は、健全な法則を破壊する罪悪を助長しています。風習や流行は自然に逆らい、それに伴う習慣やつのる放縦のために、体力と知力は徐々に減退し、不節制の結果として、病気と不幸がいたるところに蔓延しています。
多くの人は知らずに健康の法則を犯しています。そうした人々には教育が必要ですが、わかっていながら行わない人はもっと多くいます。こういう人々には健康の法則の知識を生活の道案内とすることがどんなに重要であるかはっきりと理解させる必要があります。
薬は病気をなおさないことを人々に教えなければなりません。薬が一時的に楽にすることがあるのは確かで、薬を使ったため回復したかのようにみえますが、たいていの場合は、ただ、病気の性質と所在を変化させるにすぎません。

人類が苦痛の重荷でおしつぶされ、病気のために人の活動がにぶり、力が衰え、寿命が短くなることは、創造主のみこころではありません。しかし、あまりにもしばしば、生命を支配するために神の設けられた法則が甚しくふみにじられ、罪が心にはいり、人は生命と健康の本源である神に自分が依存していることを見失ってしまいます。この背反の罰として伴うのが、苦痛と病気と死なのです。
病気とは健康の法則を犯した結果起った状態から身体の組織を解放しようとする自然の営みです。病気の時にはその原因を確かめねばなりません。不健康な状態を変え、まちがった習慣はなおさなければなりません。そして不純物を排泄し、組織を正常な状態に戻そうとする自然の営みを助けなくてはなりません。
新鮮な空気、日光、節制、休養、運動、正しい食事、水の使用、そして神の力に信頼すること、これが真の療法です。各自が自然のうちにある治療に役立つものを知り、これをどう用いるかを知らなくてはなりません。
自然療法を用いるには相当の配慮と努力が必要なため、多くの人はあまり実施したがりません。自然がもつ治癒と回復の過程は緩やかなので、忍耐力が欠けている者にはおそくみえます。また、有害な不節制をやめるには犠牲がいります。しかし最後には、自然はじょうずにまた賢明に、その働きを仕遂げることがわかるようになります。自然の法則に忍耐強く服従する人は、心身の健康という報いを刈り取るのです。健康は偶然手にはいるものではありません。健康は法則に服従した結果です。

一般的に健康維持にはほとんど注意が払われていません。しかし、病気になったときにどのように治療するかを知るよりも、病気を予防する方がはるかに良いのです。ここに一つの命にかかわる重大な質問があります。それは、まず人間に生命を与え、人の健康と幸福の永続のためにあらゆる備えをし、今日も人の健康を願っておられるわたしたちの創造主―このお方と自分との関係です。