「さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦した」「この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは地に投げ落とされた。その使たちも、もろともに投げ落とされた。」(黙示録12:7,9)。
「大争闘は、最初から神の律法に関して戦われたのである。サタンは、神は不正で、神の律法は不完全であるから、宇宙の幸福のためにそれを変更することが必要であることを証明しようとしてきた。彼は、律法を攻撃してその創始者の権威を覆そうとしていた。この争闘において、神の律法が不完全なもので、変更が必要であるか、それとも、完全で不変のものであるかが示されるのであった。
サタンは、天を追放されたときに、地球を彼の王国にしようと決意した。彼は、アダムとエバを誘惑して、勝利したときに、この世界を手中に収めたと思った。『なぜなら、彼らは、わたしを支配者に選んだからだ』と彼は言った。彼は、罪人に許しが与えられることは不可能であるから、堕落した人類は、当然自分の支配下に置かれ、この世界は自分のものだと公言した。しかし、神は、最愛のみ子、すなわち、ご自分と一つであるかたを与えて、罪の刑罰を負わせられたのである。こうして、彼らが回復されて、神の恵みに浴し、エデンの家庭に帰ることができる道が備えられた。キリストは、人間を贖い、この世界をサタンの手から救い出そうとされた。天で起こった大争闘は、サタンが自分のものと主張したこの世界そのものを戦場として、勝敗を決することになった。
キリストが堕落した人類を救うために、ご自分を低くされたことは、全宇宙の驚嘆の的であった。星々や諸世界をめぐって、すべてを指揮されたかた、その摂理によって、広大な造られたものの中のあらゆる種類のものの必要を満たされたかたが、彼の栄光を捨てて、人間の性質をお取りになることは、他世界の罪のない住民が知ることを望んだ神秘であった。キリストが人間の形をとってわれわれの世界に来られたとき、すべての者は、非常な熱心さをもって、彼が一歩一歩と、かいばおけの中からカルバリーへと、血に染まった道をたどって行かれるのを眺めた。天はキリストが受けられた侮辱とあざけりに注目した。そして、それが、サタンの煽動によるものであることを知った。彼らは、反対勢力の活動が盛んになるのを見た。サタンが、暗黒と悲しみと苦しみを、つねに人類に投げかけようとするのを、キリストは止めようとされる。彼らは、光と闇の戦いが、ますます激しくなるのを見た。そして、キリストが十字架上で苦悶のうちに、『すべてが終った』と叫んで息を引き取られたとき、勝利の叫びは、すべての世界と天そのものに鳴り響いた(ヨハネ19:30)。この世界で長いあいだ継続された大きな闘いは、ここに勝敗が決し、キリストが勝利者であられた。彼の死は、父と御子とが人間に対して十分な愛を持ち、自己否定と犠牲の精神を表されるかどうかという疑問に答えた。サタンは、偽り者、殺人者の本性を暴露した。もし彼に天の住民を支配させるならば、彼の権力下にあった人々を支配したのと同じ精神で、天の住民たちをも支配するに違いないことが明らかになった。神に忠実な宇宙は、声をそろえて神の統治をたたえた。
もし律法を変えることができたならば、キリストの犠牲はなくても、人間は救われたことであろう。しかし、堕落した人類のために、キリストが命をささげる必要があったという事実は、罪人が神の律法の要求から免除されることはないということを証明している。それは、罪の報酬が死であることを実証した。キリストが死なれたときに、サタンの滅びることが決定した。しかし、多くの者が主張するように、もし律法が十字架によって廃されたのであれば、神の愛する御子の苦悩と死とは、サタンが要求するものを彼に与えるためだけのものとなってしまう。そうであれば、悪の君は勝利をおさめて、神の政府に対する彼の攻撃は是認されたことであろう。キリストが人間の罪の刑罰を負われた事実そのものが、すべての造られた者に対して、律法が不変であること、神は正しく、あわれみ深く、自己を否定するかたであること、そして、神の政府の統治には、無限の公平とあわれみが統合していることを大いに証明して余りあるのである。」(人類のあけぼの 上巻p62-64)
「しかし、キリストが地上に下って苦難と死を受けられたのは、ただ人類の贖いを成し遂げるためだけではなかった。キリストは『律法を大いなるものとし』(英語訳)これを『光栄あるものとする』ために来られたのである(イザヤ42:21)。この世界の住民が律法を正しく認識するようにするだけでなく、神の律法が不変なものであることを、宇宙の全世界に対して証明するためであった。律法の要求が廃止できるものであったら、神の御子は罪を贖うためにご自分の生命をささげられる必要はなかったのである。キリストの死は、律法が不変であることを証明している。罪人を救うために、御父と御子が限りない愛に迫られて払われた犠牲――この贖いの計画以外に方法はなかった――は、公義とあわれみが神の律法と統治の基礎であることを全宇宙の前に証明している。…」
「カルバリーの十字架は、律法が不変なものであることを宣言していると共に、罪の支払う報酬は死であることを宇宙に宣言している。『すべてが終った』との救い主の臨終の叫びによって、サタンに対する弔いの鐘が鳴らされた。長いあいだ継続されてきた大争闘はここに決定し、悪の最終的な根絶が確実となった。神の御子は、『死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼ』すため、自ら墓の門をくぐられた(ヘブル2:14)。ルシファーは自分が高い地位に上りたいとの望みから、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、…いと高き者のようになろう』と言ったのであったが、神はこう宣言しておられる。『わたしは…あなたを地の上の灰とした。…あなたは…永遠にうせはてる。』『万軍の主は言われる、見よ、炉のように燃える日が来る。その時すべて高ぶる者と、悪を行う者とは、わらのようになる。その来る日は、彼らを焼き尽して、根も枝も残さない』(イザヤ14:13,14、エゼキエル28:18,19、マラキ4:1)。」(各時代の大争闘 下巻p241‐242)
「神の律法を人間の律法と取りかえることによって、サタンは世を支配しようとねらっている。この働きは預言の中に予告されている。サタンを代表している大きな背信的な権力について、こう宣言されている、『彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒は…彼の手にわたされる』(ダニエル7:25)。
人々は神の律法に対抗するために必ず人間の律法を定めるであろう。彼らは他の人々の良心を強制しようとし、人間の律法を励行しようとする熱心のあまり、同胞を迫害するであろう。
神の律法に対する戦いは、天に始まったが、それは世の終りまで続くのである。どの人もみな試みられる。全世界の人々が、従うか従わないかの問題を決定しなければならない。すべての人が、神の律法か人の律法かを選ばせられるのである。この点で区別の線が引かれる。二種類の人たちしかいないのである。どの人の品性も完全に明らかにされる。そして彼らはみな、忠誠の側を選んだかそれとも反逆の側を選んだかを示すのである。それから終りが来る。神はご自分の律法の正しさを立証し、その民を救われる。サタンと、サタンに加わった者たちはみな断たれるのである。罪と罪人は根も枝も滅びる(マラキ4:1参照)。サタンは根であり、サタンに従う者たちは枝である。そのとき次の言葉が悪の君に実現するのである。『あなたは自分を神のように賢いと思っているゆえ、…わたしはあなたを滅ぼす、ああ、守護のケルブよ、あなたを火の石の間から追い出した。…あなたは恐るべき終りを遂げ、永遠にうせはてる。』そのとき、『悪しき者はただしばらくで、うせ去る。あなたは彼の所をつぶさに尋ねても彼はいない』。『彼らは…かつてなかったようになる』(エゼキエル28:6,16,19、詩篇37:10、オバデヤ16)。」(各時代の希望 下巻p290‐291)
私たちは、眼前にある争闘の前兆を見ることができます。私たちはそれらに関して、神のみ言葉の光のうちに、また神の霊の説明によって悪しき者の策略があばかれるのを見、また、主が来られるときその御前に『傷のない者』として数えられたい人々が避けなくてはならない危険を見抜くことができるのです。
「神の律法は足の下に踏みつけらており、契約の血はさげすまれている。それなのに、私たちは何もすることがないと言って手をこまねいていられるであろうか。立ち上がろうではないか!戦いが行われているのである。真理と誤謬は最終決戦に入ろうとしている。インマヌエルの君の血に染まった旗印の下に進軍し、信仰の良き戦いを戦い、永遠の誉れを勝ち取ろう。なぜなら、真理は勝利し、私たちは私たちを愛してくださったかたによって勝ち得て余りあるからである。」(レビュー・アンド・ヘラルド1888.3.13)

なぜ、戦いが始まったのか?

「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。」(イザヤ14:12)
「天のルシファーは、反逆する前は、神の愛し子キリストに次ぐ栄光と高い位を与えられていた尊い天使だった。…ルシファーはそのキリストをねたみ、、キリストだけにまかされている統治権をだんだん横取りしてしまった。」(生き残る人々p23)
「サタンは、以前、天においてキリストに次ぐ栄誉ある天使であった。彼は、他の天使たちと同じように、幸福に輝く温和な顔つきをしていた。彼の広く高い額は、優れた知能を表していた。その体格は申し分がなく、態度には気高い威厳が備わっていた。しかし、神が、御子に、『われわれにかたどって人を造』ろうと言われたときに、サタンは、イエスを妬んだ。彼は、人間の創造についての相談にあずかりたいと考えたが、相談を受けなかったために、彼の心は、嫉妬とねたみと憎しみに満たされた。彼は、天において、神に次ぐ最高の栄誉を受けたいと思った。」(初代文集p254)「ひとりの天使が争闘を起こし、それが天使たちの間の天の宮廷における反逆となるまで押し進めた。彼らは、自分たちの美しさのために高ぶったのであった。」(この日を神と共にp128)「天における大争闘のその最初から、神の律法を覆すことがサタンの目的であった。彼が創造主に対する反逆を始めたのは、この目的を達成するためであった。そしてサタンは、天から追放されたけれども、この地上で同じ闘いを続けてきた。」(各時代の大争闘下巻p343)

ルシファーの野心と主張

「あなたは先に心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果てなる集会の山に座し、雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。」(イザヤ14:13,14)
「サタンが堕落する前に、御父は御子に人間の創造に関して相談された。お二人は、この世界を造り、獣と生けるものとをその地上に創造し、そして神のみかたちに人間を造って、神が創造なさる生きものをすべて支配する君主として彼を君臨させようとなさった。サタンが神のご計画を知ったとき、彼はキリストを妬んだ。そして御父が人間の創造に関して自分に相談されなかったために嫉妬した。サタンは、天使たちの中で最も高い地位にいた。しかし、キリストがすべてのものの上におられた。キリストは全天の司令官であられた。このかたはご自分の御父の最高指令を天使たちにお与えになるのであった。サタンのねたみと嫉妬は増し加わっていった。彼の反逆が起こるまでは、全天は調和のうちにあって、神の統治に完全に従っていた。サタンは、自分の不満にみちた感情を他の天使たちにほのめかし始めた。そして多くの者がサタンの反逆に加わることに賛同したのであった。サタンは、自分の立場に不満であった。彼は大いに高められたものであったにもかかわらず、神と等しくなることを熱望した。そして主が自分の野望を満足させないかぎり、反逆しようと決心し、服従することを拒んだ。…サタンは、自分自身を高めたいという野心と、また天の大司令官である神の御子の権威に従いたくないという思いのために、神の統治に対して戦いを挑んだのであった。
天使たちのある者がサタンの反逆に加わる一方で、他の天使たちは、神の御子に権威をお授けになった神の誉れと知恵を擁護して、サタンにその企てを思いとどまらせようと彼を説得するのであった。サタンは、何の理由があってキリストに無限の力とこれほどの高い自分以上の指揮権が与えられるのか!と力説した。彼は誇りに満ちて立ちあがり、自分が神と等しくあるべきだと主張した。彼はキリストの権威に屈することはしないと自分の同調者たちに誇ったのであった。」(預言の霊3巻p37)

サタンの攻撃の的

「龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。」(黙示録12:17)。
「大争闘の初めから、神の性格を誤解させ、その律法に反逆させることがサタンの意図したところであった。」(人類のあけぼの 上巻p398)「愛の律法が神の統治の基礎であるから、すべての知的存在者の幸福は、その偉大な義の原則に彼らが完全に一致することに

かかっている。」(人類のあけぼの 上巻p3)「ルシファーは、神のみ前の自分の場所を離れて、天使の間に不満の精神を流布するために出ていった。彼は極秘のうちに働いた。そして、彼はしばらくの間、神を崇敬しているふうを装って、彼に真意を隠していた。彼は、天使たちを支配していた律法に対する疑惑をほのめかし始めた。そして彼は、諸世界の住民にとって、律法は必要だろうが、天使たちは、彼らよりもすぐれたものであり、自分自身の知恵が十分な道しるべとなるから、こうした制限は不必要であると言った。」(人類のあけぼの 上巻p7)「自分は、神に完全な忠誠を尽くしていると言いながら、神の政府の安定のために、天の秩序と律法の変更が必要であると、彼は力説した。」(人類のあけぼの 上巻p8)「彼は、エホバの律法を改良することが自分の目的であると主張した。」(人類のあけぼの 上巻p14)
「サタンは、シナイの山麓から、神の律法をくつがえす計画の実行にかかり、こうして天で始めたのと同じ働きを押し進めた。」(人類のあけぼの 上巻p394)「サタンは神の愛の律法を利己主義の律法であると言う。彼はわれわれがその戒めに従うことは不可能だと宣言する。」(各時代の希望 上巻p9)「律法は、神のご品性の特質を表しているので、その一点一画も、堕落した状態にある人間に合うように変えることはできない。」(各時代の希望 下巻p288)
「神の愛は、あわれみのうちにばかりでなく義のうちにも表された。義は神の御座の基礎であり、神の愛の実である。あわれみを真実と義から引き離そうとするのがサタンの意図であった。彼は神の律法の義が平和の敵であることを証明しようと努力した。」(各時代の希望 下巻p289)彼は自分の野心的な目的を果たすために神の律法を変えねばならなかったのです。「[サタン]は、神の律法を変更することによってのみ、自らを神よりも高くすることができたのである。」(各時代の大争闘 下巻p166)

「すべて罪を犯す者は、不法を行う者である。罪は不法である。」(ヨハネ第一3:4)
「この法則が実に天において破られたのである。罪は利己心から起こった。蔽(おお)うことをなす天使ルシファーが天の第一位を望んだ。」(各時代の希望 上巻p4)「サタンは、神の聖なるみ旨に疑問を差しはさんだ最初の者であった。そして彼の始めの働きは神の律法に違反することであった。そこで彼はエデンでアダムとエバのところへ来て、誘惑することによって彼らに神の戒めを破らせたのであった。サタンは、人類家族が天の家族に対して戦いをいどむようになるために、彼らを自分の側に勝ち取ろうとしたのであった。天の神に対して

戦うことがサタンの企てであった。」(レビュー・アンド・ヘラルド1890.7.15)
「どうして罪というものが起こったのか、なぜ罪があるのかということは、多くの人々の心を苦しめる問題である。人々は、悪の働き、その恐るべき結果である不幸と悲しみを見て、いったいなぜ限りない知恵と力と愛であられる神の主権の下にこうしたすべてのことが存在するのかと疑問をいだく。人間の説明できない神秘がここにある。人々は、半信半疑でいるために、神のみ言葉の中にはっきりあわらされている救いに不可欠な真理を、悟ることができないのである。…
罪の存在を理由づけようとして罪の起源を説明することは、不可能である。しかし、罪の起源についてもその処分についても、悪に対する神のすべての取り扱いの中に、神の公義とあわれみが完全に表されているということに関しては、十分に理解できるのである。聖書の中に何よりもはっきり教えられていることは、罪が入ってきたことに対して神には何の責任もないということ、すなわち神の恵みが独断的に取り去られたり、神の統治に欠陥があったりしてそれが反逆の発生のきっかけになったのではないということである。罪は侵入者であって、その存在については理由を挙げることができない。それは神秘的であり、不可解であって、その言い訳をすることは、それを弁護することになる。もし罪の言い訳があったり、その存在の原因を示すことができたら、それはもはや罪ではなくなる。罪についての唯一の定義は、神のみ言葉のうちに与えられている定義である。それは『罪は不法である』ということである。すなわち罪は、神の統治の基礎であるという大法則と戦っている原則が、外にあらわれた結果である。」(各時代の大争闘 下巻p227,228)

キリストとは?

「御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。」(ヘブル1:3)。「父は御子によって天のすべての住民をお造りになった。『万物は、…位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。』(コロサイ1:16)。」(人類のあけぼの 上巻p3)
「その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります。」(ダニエル12:1)。「御使のかしらミカエルは、モーセの死体について悪魔と論じ争った時…」(ユダ9)「ミカエル、あるいはキリストは、モーセが墓の中でつかのま眠った後、モーセを葬った天使たちと天から下って来られ、彼を復活させて、天へと連れて行かれたのであった。」(預言の霊1巻p342)

サタンが用いる方法

「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。」(ヨハネ8:44)。「サタンは、天において行ったように、神のご品性を間違って伝えることによって、神を過酷で圧制的なおかたであると思わせ、人類を罪に誘った。そしてそれが成功すると、サタンは、神の不当な束縛が、彼自身の反逆を引き起こしたように、人類の堕落を引き起こしたのだと宣言した。」(各時代の大争闘 下巻p238)
「サタンは、神がお用いになれないもの、すなわち、へつらいと欺瞞を用いることができた。」(人類のあけぼの 上巻p14)「最後の大争闘において、サタンは同じ政策を用い、同じ精神を発揮して、過去のすべての時代と同じように、同じ目的のために働くのである。これまでに見られたことが、これからも見られるであろう。ただ異なるところは、来るべき争闘が、かつて世に見られなかったほどの恐ろしい激しさをもったものだということである。サタンの欺瞞はもっと巧妙になり、彼の攻撃はもっと断固たるものとなる。彼は、もしできるなら、選民をも惑わそうとするであろう(マルコ13:22参照)。」(各時代の大争闘 上巻(8))

キリストが用いられる方法

「義と公平はあなたのみくらの基、いつくしみと、まことはあなたの前に行きます。」(詩篇89:14)。「神は真理と公平にかなった方法しかお用いにならなかった。」(人類のあけぼの 上巻p14)「身を低くして人性を取ることによって、キリストはサタンの品性と反対の品性をあらわされた。しかし主は屈辱の道をもっと低い所へ下られた。『おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた』(ピリピ2:8)。」(各時代の希望 上巻p10)

キリストの生涯にあらわされた律法

「わが神よ、わたしはみこころを行うことを喜びます。あなたのおきてはわたしの心のうちにあります。」(詩篇40:8)「あなたのあわれみをわたしに臨ませ、わたしを生かしてください。あなたのおきてはわが喜びだからです。」(詩篇119:77)。「その心には神のおきてがあ

り、その歩みはすべることがない。」(詩篇37:31)。「サタンは神の愛の律法を利己主義の律法であると言う。彼はわれわれがその戒めに従うことは不可能だと宣言する。人類の始祖アダムとエバが堕落してあらゆる災いが生じたことを、彼は創造主の責任にし、人々に神が罪と苦難の張本人であるかのように考えさせる。イエスはこの欺瞞を暴露されるのであった。イエスはわれわれ人間の一人として服従の模範を示されるのであった。このためにイエスは自ら人間の性質を取り、われわれと同じ経験をされた。…イエスの一生は、われわれもまた神の律法に従うことができることを証明している。」(各時代の希望 上巻p9)
「キリストがその死によって天父の律法を廃したという主張には、何の根拠もない。もしも律法を変えたり、廃止したりすることができるのであれば、人間を罪の刑罰から救うためにキリストが死なれる必要はなかった。キリストの死は、律法を廃止するどころか、それが不変のものだということを証明しているのである。神の御子は、『律法を大いなるものとし、かつ光栄あるものとする』ために来られた(イザヤ42:21英語訳)。『わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。「天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはな』いと彼は言われた(マタイ5:17,18)。また、ご自身について、『わが神よ、わたしはみこころをおこなうことを喜びます。あなたのおきてはわが心のうちにあります』と宣言しておられる(詩篇40:8)。」(各時代の大争闘 下巻p193)
「律法は義すなわち正しい生活、完全な品性を要求する。しかし人はそれを与えることができない。彼は神の性なる律法の要求に応ずることができない。けれどもキリストは、人としてこの地上においでになって、聖なる一生を送り、完全な品性を発達させられた。これらのものを、キリストは受け入れる人にはだれにでも無償の贈り物として提供される。キリストの一生は人の一生の代わりとなる。」(各時代の希望 下巻p288)

争闘の終結

「あなたはもろもろの国民を責め、悪しき者を滅ぼし、永久に彼らの名を消し去られました。」(詩篇9:5)。「全地はやすみを得、穏やかになり、ことごとく声をあげて歌う。」(イザヤ14:7)。「大争闘は終った。もはや罪はなく罪人もいない。全宇宙は清くなった。調和と喜びのただ一つの脈拍が、広大な大宇宙に脈打つ。いっさいを創造されたおかたから、命と光と喜びとが、無限に広がっている空間に流れ出る。最も微細な原子から最大の世界に至るまで、万物は、生物も無生物も、かげりのない美しさと完全な喜びをもって、神は愛であると告げる。」(各時代の大争闘 下巻p467)「またわたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた、『御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世よ限りなくあるように。』。」(黙示録5:13)

キリストの最終的な勝利

「悪しき者はただしばらくで、うせ去る。あなたは彼のところをつぶさに尋ねても彼はいない。」(詩篇37:10)。「約六千年近くも続けられてきたキリストとサタンとの間の大争闘は、まもなく終わる。」(各時代の大争闘 下巻p260)「キリストのあがないの働きによって神の統治の正しいことが証明される。全能者は愛の神として知らされる。サタンの非難は反駁され、その性格が暴露される。反逆は再び起こることができない。罪は二度とこの宇宙に入ることができない。」(各時代の希望 上巻p12)「サタンは征服された。…『いつくしみと、まこととは共に会い、義と平和とは互いに口づけし』た(詩篇85:10)。天父は御子をだきかかえ、『神の御使たちはことごとく、彼を拝すべきである』とのみ言葉が発せられる(へブル1:6)。言いあらわすことのできない喜びをもって、主権者も支配も権威も生命の君の主権を承認する。『ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい』とのよろこびの叫びが天のすべての宮廷を満たす(黙示録5:12)。…愛は勝利したのだ。…『御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように』とのべつたえる高らかな歌声が天に響きわたる(黙示録5:13)。」(各時代の希望下巻p386,387)