ユダヤ人の制度全体は福音でした。たしかにそれは影と象徴におおわれてはいましたが、カルバリーから輝く光はユダヤ制度全体を照らしていて、十字架の光のうちにそれを研究する者は、すべての奉仕の本体であられる方ととても親密に交わるようになり、眺めることによってこのかたのみすがたに栄光から栄光へと変えられていきます。祭りには次の七つがありました。すなわち(1)春に三つ、(2)間に一つ、(3)秋に三つです。「あなたのうちの男子は皆あなたの神、主が選ばれる場所で、年に三度、すなわち種入れぬパンの祭と、七週の祭と、仮庵の祭に、主の前に出なければならない。ただし、から手で主の前に出てはならない。」(申命記16:16)「年ごとの祭礼には、過越の祭と五旬節(ペンテコステ)と仮庵の祭の三つがあって、その時にはイスラエル人の男子はみなエルサレムで神の前に出るように命じられていた。」(各時代の希望上巻p70)

過越の祭は、一年を通じて行われる宗教行事の最初の祭りでした。これは、エジプトのくびきからイスラエルの子らが救済されたことを記念する象徴的な祭りで、キリストを自分の過越の小羊として主張し、過去の罪をおおうものとしてこのかたの血を受け入れる個人個人をその罪の奴隷状態から救済することを表した象徴的な祭でした。かもいに塗られた血によって記念されたこの行事はすばらしいものでしたが、これによって象徴されている出来事ははるかにすばらしいものです。エジプト中を滅びの使が行き巡り、血によってかくまわれていないすべての初子の額に冷たい死の手を置いたのとちょうど同様に、二度と復活することのない第二の死も、キリストの血によって清められてこなかった一人ひとりの上に及ぶのです。すべての年ごとの祭りは、象徴であると同時に、預言でもありました。毎年ほふられた過越の小羊は、わたしたちのために犠牲となられた「わたしたちの過越の小羊であるキリスト」の影でしたが(コリント第一5:7)、また同時に、小羊が必ずアビブの月の十四日にほふられたという事実は、

本体である過越の小羊が世の罪のために、アビブの月の十四日にご自分の命をささげられるという預言でもあったのです。[出エジプト記12:6、ヨハネ18:28、19:14、30、31]。

種入れぬパンの祭は、アビブ、あるいはニサンの月の15日に始まり、七日間続けられました。過越の祭は金曜日、すなわち週の第六日目でしたから、種入れぬパンの祭は、第七日目の安息日にあたりました。型と本体が出会ったのです。使徒ヨハネは、「その安息日は大事な日であった」と言いましたが(ヨハネ19:31)、これはいつでも、年ごとの礼典律の安息日が週ごとの主の安息日と重なるときに使われた表現でした。あがないの働きは第六日目に完成し、神が創造の働きの後に休まれたように、イエスもまたヨセフの墓の中で聖安息日の神聖な時間を休まれました。なぜなら、四千年の間、安息日は創造の記念として守られてきましたが、救い主が十字架上で死なれてからは、二重の祝福を受け、創造とともにあがないの記念ともなったからです。
過越の祭に続く七日間、人々は種入れぬパンを食べました。完全を意味する七という数字は、キリストを自分の過越の小羊だと主張する者が送るべき生涯を象徴するのにふさわしいものであり、そこにはその人の罪が救い主の血によっておおわれるという祝福された保証があります。パン種は、「悪意と邪悪」を象徴し、種入れぬパンは、「純粋」と「真実」を表しています(コリント第一5:8)。過去の罪が隠され、自分から古い生活の責めが取り除けられたということがどういうことかを悟る者は、新しい生活に入ります。そして彼は自分の罪の生活に戻ることなく、ただ「純粋で真実」に生きるべきです。すべてこれらのことが、過越の祭に続く七日間の種入れぬパンの祭に象徴されているのです。

初穂のささげ物は、過越の祭の三日目に行われました。アビブあるいはニサンの月の十四日に過越の小羊を食し、十五日は安息日でした。そして、十六日、あるいは聖書にありますように「安息日の翌日」に、主の前で初穂を揺り動かしました(レビ記23:11)。主の前に初穂をささげるまでは、鎌ひとつ穀物に入れても、あるいは食べるために一粒の穀物を収穫してもなりませんでした。最初の稲穂は、豊かな収穫が刈り集められるという確かな約束でした。そして、揺り動かすことは、収穫の主への感謝と讃美を意味していました。本体であられるキリストは、死人のうちからよみがえられ、「眠っている者の初穂」となられました(コリント第一15:20)。最初のほんの一握りの稲穂が、義人たちの復活の確かな約束でした。「わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。」(テサロニケ第一4:14)
次の祭は、初穂を揺り動かしてから五十日を数えるために、ペンテコステ(五旬節)と呼ばれました(レビ記23:16)。この祭は、過越の祭との間に七週を数えたために七週の祭と呼ばれました(申命記16:9、10)。過越の祭のときには、その年の収穫が刈り取られる前に干ばつや台風で損害をこうむるかもしれず、確実とは言えませんでした。しかし、このときには確実なものでした。人の子が畑にまかれたご自分の働きの「初穂」をささげられたときに本体があいました。イエスの弟子たちは、あらゆる不一致を取り除くために聖書を研究することによってととのえられ、全員が一致した後に、本体である取入れの祭の喜びにあずかったのでした。その日、彼らは聖霊の降下を受けて、聖霊の力により、わたしたちの救い主の働きの結果、一日に三千人が教会に加わるという大収穫を得たのでした。[使徒行伝1:13、14、2:1-47]。取入れの祭の本体の日におけるこの魂の大収穫は、世の終わりの前に集められるさらに大きな収穫の始まりに過ぎませんでした。

ラッパの祭に関して、神は「七月には、その月の第一日に聖会を開かなければならない。…これはあなたがたがラッパを吹く日である」と命じられました(民数記29:1)。それは、大贖罪の日の十日前にきました。型においては、厳粛な贖罪の日が近づいていることを警告して、イスラエル中にラッパが吹き鳴らされました。本体でも同様に、世界規模のメッセージあるいはラッパの音が鳴り響くはずです。1844年7月10日(ユダヤ暦)に先立つ10年間、すなわち、1844年に終った「それは二千三百の夕と朝までである。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」というダニエル8:14に記された本体の贖罪の日の前に、このようなメッセージが世に与えられて、ラッパを吹き鳴らすように「さばきの時がきた」と告げたのでした(黙示録14:7)。このメッセージは世界歴史のこの時代に与えられることになっていました。パウロは、その当時「未来の審判」について説きましたが(使徒行伝24:25)、この時代に与えられたメッセージの要点は、「神のさばきの時がきた」というものだったのです。

七月十日は、贖罪の日でした(レビ記23:27)。一年を通じて行われる奉仕の中でもこの日ほど厳粛で神聖な日はありませんでした。「すべてその日に身を悩まさない者は、民のうちから断たれるであろう」(レビ記23:29)。この日の奉仕の中で最も重要な務めは、やぎをささげることでした。二匹のやぎが聖所の門のところに連れてこられて、そこでそれらのためにくじを引きました。一匹は主のため、もう一匹はアザゼルのためでした(レビ記16:8)。大祭司は、主のやぎを殺し、それから豪華な衣服を身にまとい、イスラエルの十二部族の名が刻まれたさばきの胸当てを胸に着け、やぎの血をたずさえてその年の民と聖所の最終的な

贖罪をとりおこなうために至聖所に入っていきました。こうして、聖所が清められたのです。
地上の聖所は、毎年七月十日に清められましたが、天の聖所は、一度だけですべてが清められます。この働きは、預言的な二千三百日の期間の終わりであるAD1844年に始まりました(ダニエル8:14)。このとき、イエスはご自分のあがないの最終的な働きをなしとげるために至聖所に入られました。そこで、このかたはみ父の前でご自分の血をもって、罪を捨て、身を低くしてご自分の功績に頼る人々のためにとりなしておられます。イエスがわたしたちの大祭司としてとなしておられる間、すべての悔い改めた罪人には希望があります。しかし、このかたがついに聖所から出てこられるとき、恵みの戸は永遠に閉じられるのです。わたしたちの大祭司が天の聖所の至聖所から出てこられるとき、このかたは、「不義な者はさらに不義を行い、汚れた者は汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」と宣言なさいます(黙示録22:11)。

仮庵の祭は、一年を通じて行われる奉仕の最後の祭であり、あがないの計画全体の最終的な完成を象徴しています。この祭は贖罪の日の五日後、七月十五日に始まり、七日間続きました。これは、すべて畑から、ぶどう畑から、またオリーブの果樹園から刈り集められた大いなる喜びのときでした。すべての者は主に感謝のささげ物をたずさえて来るよう要求されていました。この祭は、型であると同時に記念でした。それは彼らの砂漠での流浪を記念したもので、自分たちの天幕の住まいを覚えて、すべてのイスラエル人が七日の間、仮庵の中に住みました。この仮庵は「美しい木の実となつめやしの枝と、茂った木の枝と、谷のはこやなぎの枝」で作られました(レビ記23:40 、ネヘミヤ8:15)。これは喜びのときであり、レビ人も貧しい者も他国の人もすべての者が、祭にあずかりました(申命記16:13、14)。
仮庵の祭は、贖罪の日に続いて行われました。贖罪の日はさばきのときに本体と会ったのですから、仮庵の祭はさばきの終了後に起こる出来事を象徴しているはずです。キリストが天の聖所を去られるのは、ご自分の民を集めるために地上に来られる直前です。そのとき、このかたは彼らを天へ連れて行き、そこで彼らは天地が造られる前から御父とともにもっておられた栄光を見るのです(ヨハネ17:24)。「あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手にもって、御座を小羊との前に立ち」(黙示録7:9)。そのとき、仮庵の祭は、天での喜びの祭りとなるのです!

過越の祭

「主はエジプトの国で、モーセとアロンに告げて言われた、『この月をあなたがたの初めの月とし、これを年の正月としなさい。あなたがたはイスラエルの全会衆に言いなさい。「この月の十日におのおの、その父の家ごとに小羊を取らなければならない。すなわち、一家族に小羊一頭を取らなければならない。…そしてこの月の十四日まで、これを守って置き、イスラエルの会衆はみな、夕暮にこれをほふり、その血を取り、小羊を食する家の入口の二つの柱と、かもいにそれを塗らなければならない…これは主の過越である…この日はあなたがたに記念となり、あなたがたは主の祭としてこれを守り、代々、永久の定めとしてこれを守らなければならない』」(出エジプト記12:1-14)
「過越を守ることは、ヘブル国民の誕生と共に始まった。エジプトの奴隷生活の最後の晩、救出のしるしが何も見えなかった時に、神は彼らに、ただちに解放されるから用意をするようにとお命じになった。神はエジプト人に臨む最後の刑罰についてパロに警告し、へブル人に、家族を自分の家に集めるようにと指示された。へブル人はほふられた小羊の血を門柱に塗ると、焼いた小羊の肉を酵母の入っていないパンや苦菜と一緒に食べるのであった。…夜中にエジプト人の長子は全部殺された。『そこでパロは夜のうちにモーセとアロンを呼び寄せて言った「あなたがたとイスラエルの人々は立って、わたしの民の中から出て行くがよい。そしてあなたがたの言うように行って主に仕えなさい』(出エジプト記12:31)。へブル人は自由な国民としてエジプトから出て行った。神は毎年過越を守るようにお命じになったのだった。『もし、あなたがたの子供たちが、「この儀式はどんな意味ですか」と問うならば、あなたがたは言いなさい、「これは主の過越の犠牲である。エジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越して、われわれの家を救われたのである」』(出エジプト記12:26、27)。こうしてこの不思議な救済の物語は代々繰り返されるのであった。」(各時代の希望上巻p71、72)「過越の祭は、ユダヤ人の祭りの中でもっとも印象深く、重要なものであった。」(原稿18巻p90)
「その月の十四日の夕方に過越の祭が行われた。それは、エジプトの奴隷からの解放を記念すると共に人々を罪から解放する犠牲を予表した厳粛で印象深い儀式であった。救い主がカルバリーでおなくなりになったときに、過越の祭の意義はもうなくなり、過越の祭が象徴していた同じ事件の記念として、主の晩餐の儀式が制定された。」(人類のあけぼの下巻p182)「新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。」(コリント第一5:7)「血のしるし(それは救い主の保護のしるしであった)が彼らのとにあったので、滅ぼす者は入らなかった。」(人類のあけぼの上巻p322)

種入れぬパンの祭

「またその月の十五日は主の種入れぬパンの祭である。」(レビ記23:6)。
「あなたがたは、種入れぬパンの祭を守らなければならない。ちょうど、この日、わたしがあなたがたの軍勢をエジプトの国から導き出したからである。それゆえ、あなたがたは代々、永久の定めとして、その日を守らなければならない。正月に、その月の十四日の夕方に、あなたがたは種入れぬパンを食べ、その月の二十一日の夕方まで続けなければならない。七日の間、家にパン種を置いてはならない。種を入れた者を食べる者は、寄留の他国人であれ、国に生まれた者であれ、すべて、イスラエルの会衆から断たれるであろう。あなたがたは種を入れた者は何も食べてはならない。すべてあなたがたのすまいにおいて種入れぬパンを食べなければならない。」(出エジプト記12:17-20)。
「過越の祭の後、種入れぬパンの祭が七日間続いた。」(各時代の希望上巻p72)「種入れぬパンを用いたことにも深い意味があった。それは過越の祭の定めに明らかに記されており、ユダヤ人も実際に厳格に守っていたので、その祭りの期間中、彼らの家でパン種を見ることは絶対になかった。同じようにキリストから生命と栄養を受ける者はみな、罪のパン種を取り除かなければならない。パウロは、コリントの教会にそのように書いている。『新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。…わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種の入っていない純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか。」(コリント第一5:7、8)「ヒゼキヤが送り出した使者たちは、『エフライムとマナセの国にはいって、町から町に行き巡り、ついに、ゼブルンまで行った』。…わずかながら、喜んでこれに答えたものもあった。『ただしアセル、マナセ、ゼブルンのうちには身を低くして、…種入れぬパンの祭を行うため…エルサレムに来た人々もあった』(歴代志下30:10-13)」(国と指導者上巻p257)
「神は昔、ご自分の民が年に三度、集会を持つように命じられた。『あなたのうちの男子は皆あなたの神、主が選ばれる場所で、年に三度、すなわち種入れぬパンの祭と、七週の祭と、仮庵の祭に、主の前に出なければならない。ただし、から手で主の前に出てはならない。あなたの神、主が賜わる祝福にしたがい、おのおの力に応じて、ささげ物をしなければならない。』彼らの収入の三分の一以上が、聖なる宗教上の目的のためにささげられた。」(教会への証3巻p395)

初穂

「彼はあなたがたの受け入れられるように、その束を主の前に揺り動かすであろう。すなわち、祭司は安息日の翌日に、これを揺り動かすであろう。」(レビ記23:11)「祭の第二日に、その年の収穫の初穂を神の前にささげなければならなかった。パレスチナでは、大麦が一番早い穀物で、祭りの初めに実り始めていた。祭司は、大麦の穂を神の祭壇の前で揺り動かし、すべてのものが神のものであることを認めた。この儀式がすまなければ、作物を集めてはならなかった。」(人類のあけぼの下巻p182)
「われわれの主は、揺祭の束の実体として、三日目に死からよみがえり、「眠っている者の初穂」となり、贖われたすべての者の「卑しいからだを、ご自身の栄光の体と同じかたちに変え」ることを実証された(コリント第一15:20、ピリピ3:21)。」(各時代の大争闘下巻p106)
「キリストは、眠っている者の初穂であられた。まさにこの光景、すなわちキリストが死人の中からよみがえられた光景が、型においてユダヤ人たちによって彼らの聖なる祭りの一つとして守られてきたのであった。…彼らは初穂が集められたとき、宮に上り、感謝の祭りをとりおこなった。収穫の初穂は神聖なものとして主にささげられた。その穀物は、人間の便益のために用いられてはならなかった。最初に実った物は神への感謝のささげ物としてささげられた。主は、収穫の主として認められるのであった。最初の稲穂が畑で実ると、彼らはそれらを注意深く刈り集め、民がエルサレムに上るときに、主の前に実った束を揺り動かし、それらを感謝のささげ物として主の前にささげた。この儀式の後、畑に鎌を入れ、収穫して束ねることができるのであった。」(バイブル・コメンタリ6巻p1092)

ペンテコステ、収穫の祭あるいは諸週の祭

「すなわち、第七の安息日の翌日までに、五十日を数えて、新穀の素祭を主にささげなければならない。」(レビ記23:16)
「初穂をささげてから五十日目は、ペンテコステであった。それは、また、収穫の祭、または七週の祭とも呼ばれた。穀類が、食物として備えられたことの感謝の表現として、種をいれて焼いたパンを二つ、神の前にささげた。ペンテコステは、第一日だけであったが、その日は、宗教の行事にささげられた。」(人類のあけぼの下巻p182)
「五旬節(ペンテコステ)の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると」(使徒行伝2:1)
「空席のできた使徒の数を満たした後、使徒たちは、しばしば宮に行って、キリストを証し、神を讃美しつつ、瞑想と祈りに時間をささげた。ペンテコステは過越の祭の七週間後に行われた。これらの機会に、ユダヤ人たちは宮を修復し、あらゆる収穫の初穂をささげることが要求されていた。こうして、自分たちがあらゆるよい物の偉大な与え主に依存しているこ

とと、神が彼らにおゆだねになった神のみ働きを支えるためにささげ物や供え物をささげることによって神に返礼する自分たちの義務とを認めるのであった。神が定められたこの日に、主は恵み深くも、キリスト教会の初穂であった信徒の小さな群れの上にご自分の霊を注ぎ出してくださったのである。」(預言の霊3巻p265)

ラッパの祭

「イスラエルの人々に言いなさい、『七月一日をあなたがたの安息の日とし、ラッパを吹き鳴らして記念する聖会としなければならない。』」(レビ記23:24)「それはラッパの祭の時であった。多くの人々がエルサレムに集まっていた。」(国と指導者下巻p262)
「ラッパの祭の時には、多くの人々が聖都に集まり、人々は水の門の前の広場に集まった。そして『主がイスラエルに与えられたモーセの律法の書を持って来るように、学者エズラに求めた。祭司エズラは七月の一日に律法を携えて来て、男女の会衆およびすべて聞いて悟ることのできる人々の前にあらわれ、水の門の前にある広場で、あけぼのから正午まで』『民はみな律法の書に耳を傾けた。』『エズラは大いなる神、主をほめ、民はみなその手をあげて「アァメン、アァメン」と言って答え、こうべをたれ、地にひれ伏して主を拝した。』祭司やレビ人のうちある者がエズラと共に神の律法の原則を民に説明した。『彼らはその書、すなわち神の律法をめいりょうに読み、その意味を解き明かしてその読むところを悟らせた』。」(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1884.1.10)

贖罪の日

「特にその七月の十日は贖罪の日である。あなたがたは聖会を開き、身を悩まし、主に火祭をささげなければならない。」(レビ記23:27)
「一年一度、大いなる贖罪の日に、大祭司は聖所を清めるために至聖所に入った。そこで行われた務めによって、一年間の努めが完了した。贖罪の日に、二頭のやぎが幕屋の入口に連れてこられ、くじが引かれた。『一つのくじは主のため、一つのくじはアザゼルのため』(レビ記16:8,21,22)。主のためのくじに当たったやぎは、民のための罪祭としてほふられた。そして、大祭司は、その血を幕の中にたずさえていき、贖罪所の上と贖罪所の前に注がなければならなかった。血は、幕の前の香壇にも注がなければならなかった。
…この儀式全体は、神が聖であられて、罪をいみ嫌われることを、イスラエルの人々に深く感じさせるよう意図されていた。そして、さらに、罪に触れるならば必ず汚れることを、彼らに示すものであった。贖罪のわざが進行している間、すべての者は、身を悩まさなければ

ならなかった。仕事をすべてやめて、イスラエルの全会衆は、厳粛に神の前にへりくだり、祈り、断食し、心を深く探って一日を過ごさなければならなかった。
贖罪に関する重要な真理が、型としての儀式によって教えられている。罪人の代わりに、その身代わりとなるものが受け入れられた。しかし、犠牲の血によって罪が取り消されたわけではなかった。こうした方法によって、罪が聖所に移されたのであった。罪人は、血のささげ物によって、律法の権威を認め、犯した罪を告白し、きたるべき贖い主を信じる信仰によって許しを願っていることを表明した。しかし彼は、律法の宣告から全く解放されたのではなかった。大祭司は、贖罪の日に、会衆からのささげ物をとって、その血をたずさえて至聖所に入り、律法の真上にある贖罪所の上にそれを注いで、律法の要求を満たした。それから彼は、仲保者として、罪を自ら負って、聖所から持ち出した。彼は、アザゼルのやぎの頭に手をおいて、すべての罪を告白し、こうして、象徴的に、自分からアザゼルのやぎへと罪を移した。それからやぎは、罪を背負って去り、そして罪は永遠に民から切り離されたものとみなされた。」(各時代の大争闘下巻p132-135)
「われわれは、今、大いなる贖罪の日に生存している。型としての儀式においては、大祭司がイスラエルのために贖罪をなしている間、すべての者は、主の前に罪を悔い改め、心を低くすることによって、身を悩まさなければならなかった。もしそうしなければ、彼らは、民の中から絶たれるのであった。それと同様に、自分たちの名が命の書にとどめられることを願う者はみな、今、残り少ない恩恵期間のうちに、罪を悲しみ、真に悔い改めて、神の前に身を悩まさなければならない。われわれは、心を深く忠実に探らなければならない。多くの自称キリスト者がいだいている軽薄な精神は、捨て去らねばならない。われわれを打ち負かそうとする悪癖に勝利しようとする者は、みな、激しく戦わなければならない。準備は、一人一人がしなければならない。われわれは、団体として救われるのではない。一人の者の純潔と献身は、これらの資格を欠く他の人の埋め合わせにはならない。すべての国民が神の前で審判を受けるのであるが、しかし神は、あたかもこの地上にその人一人しかいないかのように、厳密に一人一人を審査されるのである。すべての者が調べられねばならない。そして、しみもしわもそのたぐいのものがいっさいあってはならないのである。」(各時代の大争闘下巻p224)

仮庵の祭

「イスラエルの人々に言いなさい、『その七月の十五日は仮庵の祭である。七日の間、主の前にそれを守らなければならない。』(レビ記23:34)

「七月に、仮庵の祭、または、取入れの祭があった。この祭は、神が果樹園やオリブ畑ぶどう園の産物を豊かに恵まれたことを認めたものであった。これは一年の祭の中の最大の祭であった。土地は産物を生じ、収穫は集めて倉に収められ、くだもの、油、ぶどう汁などもたくわえられ、初穂は保存された。そして、今や、人々は、このように豊かに彼らをお恵みになった神に、感謝の供え物をたずさえて来たのである。」(人類のあけぼの下巻p182)
「言葉に言い表すことのできない愛をもって、イエスは忠実な者たちを主の喜びに迎え入れてくださる。救い主の喜びは、ご自身の苦悩と屈辱とによって救われた魂を、栄光のみ国において見ることである。そして、贖われた者たちは、この祝福された人々の中に、自分たちの祈りや働きや愛のこもった犠牲によってキリストに導かれた人々があるのを見て、主の喜びに共にあずかる者となる。彼らが大いなる白いみ座のまわりに集まって、自分がキリストに導いた人たちを見、そして、その導かれた人たちがまた他の者を導き、その人たちがさらに他の人たちを導いて、すべての者が休息の港に入れられたことを見るとき、彼らは言うに言われぬ歓喜に心が満たされ、自分たちの冠をイエスの足下に投げ出して、永遠に尽きることのない年月にわたってイエスを讃美するのである。」(各時代の大争闘下巻p427)
「聖書の中では、救われた者の嗣業が『ふるさと』と呼ばれている(ヘブル11:14-16参照)。そこでは天の大牧者イエスが、ご自分の群れを生ける水の源に連れていって下さる。命の木は月ごとにその実を結び、その葉は万民のために用いられる。水晶のように透き通った川が永遠に流れ、そのそばには揺れ動く木々が、主に贖われた者たちのために備えられた道の上に影を投げている。広々とひろがった平野の果ては、美しい丘となって盛りあがり、神の山々が高くそびえたっている。この平和な平原に、また生ける流れのほとりに、久しい年月の間旅人であり寄留者であった神の民が、そのすまいを見出すのである。」(各時代の大争闘下巻p463)