今課では、祭司職について研究していきます。なぜ、神は祭司職を任命してくださったのでしょうか。これは、疑いの余地なく、私たちの益のためであり、私たちに救いの希望を与えてくださるためだと確信することができます。「この望みは、わたしたちにとって、いわば、魂を安全にし不動にする錨であり、かつ『幕のうち』にはいり行かせるものである。その幕の内に、イエスは、永遠に…大祭司として、わたしたちのためにさきがけとなって、はいられたのである」(ヘブル6:19,20)。

なぜ、キリストが聖所におられるか知っていますか?なぜなら、それは、彼が祭司であられるからです。ただ祭司だけが聖所に入ることができます。「神の祭司だけが神の御前に犠牲をささげる権威を授けられた」(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1888.5.11)。「祭司は、地上の聖所の両方の部屋で務めを行った」(初代文集p412)。イエスは、私たちのために死なれた小羊であるばかりでなく、私たちのために生きておられる祭司でもあります。祭司は何をするのでしょうか?彼は、「供え物やいけにえをささげるために他ならない」(ヘブル8:3)。私たちが、自分で供え物をささげることはできないのでしょうか?それは、できません。罪人は、直接神に近づくことができません。「あなたがたの不義があなたがたと、あなたがたの神とのあいだを隔てたのだ。またあなたがたの罪が主の顔をおおったために、お聞きにならないのだ」(イザヤ59:2)。それゆえ、まずはじめに、罪の問題が解決されねばなりません。血を流すことなしに、罪の許しがないのは確かです。しかし、血を流すだけでは十分ではありません。その血が、聖所でささげられねばなりません。しかし、罪人がそうすることはできないのです。だれかが彼のためにこれを行ってくれなくてはなりません。これが祭司職の目的のすべてです。「大祭司なるものはすべて、人間の中から選ばれて、罪のために供え物といけにえとをささげるように、人々のために神に仕える役に任じられた者である」(ヘブル5:1)。

預言者は、神のために人間に向かって話します。しかし、祭司は、人間のために神に話します。イエスは、人間に神をあらわすために天から来られました。そしてそのかたは、「わたしたちのために神のみまえに出て下さ」るために、天へ戻られたのです(ヘブル9:24)。地上の幕屋で務めをしていた祭司たちは、「天にある聖所のひな型と影とに仕え」ていました。私たちが、記された神のみ言葉を通して、彼らの動きに注意を払うとき、天におられる私たちの大祭司イエス・キリストの働きの概要をおぼろげにつかむようになります。レビ記4章では、昔の聖所における祭司の働きについて、いくつかの重要な点を詳細に描写しています。たとえば、全会衆が罪を犯したとき、長老たちが、雄の子牛を庭の祭壇に連れてきました。そこで、彼らは犠牲の頭の上に手を置いて罪を告白し、そのとき告白された罪は、象徴的に罪人から身代わりに移されたのです。いよいよ、その動物は殺されなければなりません。しかし、これでこの務めは終わりなのでしょうか?いいえ、違います!その務めはまさに始まったばかりなのです。何の務めでしょうか?では、次のところを読んでみましょう。「その犯した罪が現れたとき、会衆は雄の子牛を罪祭としてささげなければならない。そして、油注がれて祭司は、その子牛の血を会見の幕屋にたずさえ入り、祭司は指をその血に浸し、垂幕の前で主の前に七たび注がなければならない。またその血を取って、会見の幕屋の中の主の前にある祭壇の角に、それを塗らなければならない」(レビ4:16-18)。「こうして、祭司が彼らのためにあがないをするならば、彼らは許されるであろう」(レビ4:20)。

この務めは、罪が血によって許され、おおわれるだけでなく、身代わりを介して罪人から聖所に移されるのだということを示しています。犠牲は、死ぬときに罪を負います。それから、祭司は、その罪を負った血を聖所の中にたずさえ入れ、それを幕の前にふり注ぎました。こうして、罪は聖所に移されたのです。罪が聖所に持ちこまれるのは、祭司がその血をそこへ持っていくときだけです。「日ごとの務めのうちで最も重要な部分は、個人個人のために行われた務めであった」(人類のあけぼの 上巻p418)。レビ記4:27-35のなかで、神は、「一般の人が罪を犯したとき」のために、やぎもしくは小羊を備えてくださいました。罪が告白によって動物に移された後、その身代わりは殺されました。そして祭司が自分の指をその血の中に浸し、それを燔祭の祭壇の角に塗りつけました。許しの約束は、この場合、祭司が燔祭の祭壇の角につけた場合にはじめて、はたされるのでした。「こうして祭司が彼の犯した罪のためにあがないをするならば、彼は許されるであろう」(レビ記4:35)。どのようにして罪は聖所に中に持ちこまれるのでしょうか。祭司が、聖所に血をふり注がないときには、彼が、犠牲の一部を食べました(レビ記6:25,26)。このことに関して、モーセは祭司たちに、「これは、

 

…あなたがたが会衆の罪を負って、彼らのために主の前にあがないをするため、あなたがたに賜った物である」と言いました(レビ記10:17,18)。

「毎日、悔い改めた罪人が幕屋の入口に供え物を持ってきて、手を犠牲の頭において自分の罪を告白し、こうして自分の罪を象徴的に自分自身から罪のない犠牲へと移した。それから動物はほふられた。『血を流すことなしには』罪の許しはあり得ない、と使徒は言っている。『肉の命は血にあるからである』(レビ記17:11)。破られた神の律法は、罪人の生命を要求した。罪人の失われた生命をあらわす血、すなわち犠牲が彼の罪を負って流したその血が、祭司によって聖所の中に運ばれ、幕の前に注がれた。幕の後ろには、罪人が犯したその律法を入れた箱があった。ある場合には、血を聖所に持って入らず、モーセがアロンの子らに命じて『あなたがたが会衆の罪を負(う)…ため、あなたがたに賜った物である』と言ったように、祭司は、そこで肉を食べなければならなかった(レビ記10:17)。どちらの儀式も同様に、悔い改めた者から聖所へと、罪が移されることを象徴していた」(各時代の大争闘 下巻p131,132)。

そうです!これが祭司職の目的です。イエスはあなたの大祭司であって、罪を負ってくださるかたですが、あなたがその罪をイエスに渡さないかぎり、あなたの罪を取りさることは決してありません。イエスは、あなたからその罪を奪い取るようなことはなさいません。もし、イエスがご自分の血によって、あなたの罪を聖所にたずさえ入れ、それをおおわれるとしたら、それは、イエスにその罪を告白することを選んだあなた自身の選択によるのです。その時、あなたは自分の罪が「実際に天の聖所に移され」たことを、個人的に知るようになります(各時代の大争闘 下巻p136)。十字架上で、イエスは私たちの罪を「ほふられた小羊」として負ってくださいました。聖所では、その罪を「生ける祭司」として負ってくださるのです。

祭司職の目的

祭司職の主な目的は、罪のために自分自身では、神に近づくことのできない「民の罪をあがなう」ことです(ヘブル2:17)。ですから、神のみ摂理を通して、祭司は、「罪のために供え物といけにえとをささげる」ようにと定められました(ヘブル5:1)。「神の祭司だけが、神の御前に犠牲をささげる権威を与えられていた」(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1888.5.11)。「祭司職は、キリストの仲保者としての性格と働きをあらわすために設けられていた」(各時代の希望上巻p192)。

祭司の必要

罪人は祭司を必要としています。なぜなら、祭司がいなければ、罪の許しを受けることができないからです。神は、この点をはっきりと示されました。「彼は(あなたの値積りに従って)雄羊の全きものを群れのうちから取り、愆祭としてこれを祭司のもとに携えてこなければならない.こうして、祭司が彼のために、すなわち彼が知らないで、しかもあやまって犯した過失のために、あがないをするならば、彼は許されるであろう」(レビ記5:18)。「アダムとエバの罪は、神と人間との恐ろしい分離をもたらした。そこでキリストが堕落した人間と神との間に入り、人間に向かって『あなたはなお御父のみ許に来ることができる。神が人間に、そして人間が神に和解できるようにと立てられた計画がある。あなたは、仲保者を通して神に近づくことができるのだ』と仰せになる。そしていま、キリストは、あなたのためにとりなしをしておられるのである。そのかたは、あなたのために嘆願しておられる偉大な大祭司である。あなたは、イエス・キリストを通して、御父のもとに来て、自分の問題を持ち出さなくてはならない。こうして、あなたは神のもとへ行くことができるのである」(驚くばかりの恵みp154)

だれが祭司だったのか?

父祖たちの時代には、神は一家の長が家族の祭司となるようにお命じになりました。もし、父親が死んだら、長子がその責任を負うのでした。イスラエル人の時代には、若い人々が神に犠牲をささげるようにと選ばれました。「イスラエルの人々のうちの若者たちをつかわして、主に燔祭をささげさせ、また酬恩祭として雄牛をささげさせた」(出エジプト記24:5)。しかし、イスラエル人の長子が、この特別な特権を軽くみなし、背信したとき、神はレビの部族を国の祭司とするようにお命じになりました。なぜなら、彼らが、命をかけて神とその戒めに忠実であったからです。「イスラエルの人々のうちから、あなたの兄弟アロンとその子たち、すなわちアロンとアロンの子ナダブ、アビウ、エレアザル、イタマルとをあなたのもとに来させ、祭司としてわたしに仕えさせ」なさい(出エジプト記28:1)。まことに、これは人間の選択ではなく、神によって任命されたのでした。「大祭司なるものはすべて、人間の中から選ばれて、罪のために供え物といけにえとをささげるように、人々のために神に仕える役に任じられた者である」(ヘブル5:1)。「はじめは、それぞれの家族の長が、その家の統治者また祭司とされていました。その後、全地に人類が増えひろがると、神に任命された人々が、民のために厳粛な犠牲制度の礼拝をとりおこなったのでした」(預言の霊1巻p53,54)。

祭司が選ばれた時には、水で洗う、衣服を替える、油を注ぐ、そして血を降り注ぐなどの特別な儀式がありました。これらすべては、とても重要な教訓を教えています。聖書から読んでみましょう、「そしてモーセはアロンとその子たちを連れてきて、水で彼らを洗い清め、アロンに服を着させ、帯をしめさせ、衣をまとわせ、エポデを着けさせ、エポデの帯をしめさせ、それをもってエポデを身に結いつけ、また胸当を着けさせ、その胸当にウリムとトンミムを入れ、その頭に帽子をかぶらせ、その帽子の前に金の板、すなわち聖なる冠をつけさせた。主がモーセに命じられたとおりである。」「また注ぎ油をアロンの頭に注ぎ、彼に油を注いでこれを聖別した。モーセはまたアロンの子たちを連れてきて、服を彼らにつけさせ、帯を彼らにしめさせ、頭巾を頭に巻かせた。主がモーセに命じられたとおりである。」「彼はまた他の雄羊、すなわち任職の雄羊を連れてこさせ、アロンとその子たちは、その雄羊の頭に手を置いた。モーセはこれをほふり、その血を取って、アロンの右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指とにつけた。またモーセはアロンの子たちを連れてきて、その血を彼らの右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指とにつけた。そしてモーセはその残りの血を、祭壇の周囲に注ぎかけた。」「モーセはまた注ぎ油と祭壇の上の血とを取り、これをアロンとその服、またその子たちとその服とに注いで、アロンとその服、およびその子たちと、その服とを聖別した。」「アロンとその子たちは主がモーセによってお命じになったことを、ことごとく行った」(レビ記8:6-9,12,13,22-24,30,36)。「これらのものが、以上のように整えられた上で、祭司たちは常に幕屋の前の場所に入って礼拝をするのである」(ヘブル9:6)。「幕屋が神にささげられたあとで、祭司たちはきよい務めにたずさわるために聖別された。これらの式典は、七日を要し、毎日特別の儀式があった。八日目から祭司たちは、それぞれの務めを始めた。アロンは、息子たちに助けられて、神が要求された犠牲をささげ、両手を上げて民を祝福した」(人類のあけぼの 上巻p424)。「アロンの家は、常に神の前を歩くであろうという約束が与えられていたが、しかし、この約束は、彼らが誠実をもって、聖所の働きに献身し、すべての道で神をあがめ、自己に仕えず、自分の曲がった性質に従わないという条件のもとになされた」(人類のあけぼの 上巻p236)。

彼らに油を注ぎ,彼らを職に任じ、彼らを聖別し、祭司として、わたしに仕えさせなければならない。また、彼らのために、その隠し所をおおう亜麻布のしたばきを作り、腰からももに届くようにしなければならない。アロンとその子たちは会見の幕屋にはいる時、あるいは聖所で務めをするために祭壇に近づく時に、これを着なければならない。そうすれば、彼らは罪を得て死ぬことはないであろう。これは彼と彼の後の子孫とのための永久の定めでなければならない」(出エジプト記28:40-43)。「祭司の衣服と動作のすべては、それを見る者に、神の神聖なこと、その礼拝が清いものであること、神の前に来る者には、純潔が要求されることなどを、深く感銘させるものでなければならなかった」(人類のあけぼの 上巻p414)。「祭司の着ているものはすべて完全できずのないものでなければならなかった。この美しい祭司服によって、大いなる本体であられるイエス・キリストのご品性が象徴されていた。衣服でも態度でも、ことばでも精神でも、神は完全なものしか受け入れることがおできにならない。…祭司の衣を裂いてはならなかった。なぜなら、祭司の衣を裂くことは天の事物の象徴を傷つけるからであった」(各時代の希望下巻p203)。

変わることのない祭司職

「死ということがあるために、務を続けることができないので、多くの人々が祭司に立てられるのである。しかし彼は、永遠にいますかたであるので、変わらない祭司の務を持ちつづけておられるのである」(ヘブル7:23,24)。「キリストは、偉大な大祭司として罪のための完全な贖罪をなしながら、唯一神の威厳と栄光のうちに立っておられるかたである。他の大祭司たちは型に過ぎず、キリストが現れたとき、彼らの奉仕の必要はなくなった。『しかし彼は、永遠にいますかたであるので、変わらない祭司の務めを持ちつづけておられるのである.。そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。このように、聖にして、悪も汚れもなく、罪人とは区別され、かつ、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとってふさわしいかたである。彼は、他の大祭司のように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない.。なぜなら、自分をささげて、一度だけ、それをされたからである』(ヘブル7:24-27)。」(レビュー・アンド・ヘラルド1903.3.17)。「それについては、聖書に『あなたこそは、永遠に、メルキゼデクに等しい祭司である』とあかしされている」(ヘブル7:17)。

メルキゼデクの命令(いと高き神の祭司)

「このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司であったが、王たちを撃破して帰るアブラハムを迎えて祝福し、それに対して、アブラハムは彼にすべての物の十分の一を分け与えたのである。その名の意味は、第一に義の王、次にまたサレムの王、すなわち平和の王である。彼には父がなく、母がなく、系図がなく、生涯の初めもなく、生命の終りもなく、神の子のようであって、いつまでも祭司なのである」(ヘブル7:1-3)。「いと高き神の祭司であるメルキゼデクを通して語られたのは、キリストであった。メルキゼデクは、キリストではないが、しかし彼は、世にあって神の声であり、御父を代表していた」(レビュー・アンド・ヘラルド1890.2.28)。

王の祭司職

「この主のみもとにきて、あなたがたも、それぞれ生ける石となって、霊の家に築き上げられ、聖なる祭司となって、イエス・キリストにより、神に喜ばれる霊にいけにえを、ささげなさい」(ペテロ第一2:5)。「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である」(ペテロ第一2:9)。「主は、昔のイスラエルと特別な契約を結ばれた。『それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう』(出エジプト記19:5,6)。神は、この終わりの時代に、ご自分の律法を守る民に語っておられる、『しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れてくださったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである』。『愛する者たちよ。あなたがたに勧める。あなたがたは、この世の旅人であり寄留者であるから、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい』(ペテロ第一2:9,11)」(教会への証2巻p450)。「だれが神の王国の国民であろうか。それは、神のみ旨を行うすべての者である。彼らは、聖霊にあって義と平安、喜びを自分のものとしている。キリストの王国の一人ひとりが、神の子どもであり、神の大事業における共労者である。…彼らは、…王の祭司職についているのである。彼らは、イエス・キリストと共に働く協力関係にある。彼らは、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。…」(牧師への証p422)。

王の祭司職のための準備

「わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司としてくださったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン」(黙示録1:6)。そして、「わたしたちは、地上を支配するに至るでしょう」(黙示録5:10)。「この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する」(黙示録20:6)。「あなたがたは、主がまもなくこられることを信じているのだから、すべての者が、この地上において純潔で、清く、聖なる者になることによって、純潔で聖なる天のために準備をしていることを確認しなければならない。そうするなら、あなたは上にある住まいへ呼ばれるとき、家にいるようにくつろぐことができる。神は、ご自分の霊感を受けた使徒を通して、私たちになんと仰せになっているだろうか?『あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である』(ペテロ第一2:9)」(きょう神と共にp331)。