安息日

 

-創造の記念日「安息日」-

 

「ママ!どうして僕の誕生日は一日しかないの?」

 

物事を分別し始めたばかりの幼子が、誕生日に与えられる祝福と喜びを理解し始めたころ、母親にたずねる無邪気な質問です。

しかし、それと同時に、これは道理をわきまえ、それに伴う結果を考える知性をもった人に投げかけられる意味深い言葉でもあります。

そうです。なぜ誕生日は一年のうち一日しかないのでしょう?あるいは、なぜ一生に一度の一日ではなく、なぜ何十回となく繰り返される一年のうちの一日なのでしょうか。あなたはこのことについて考えたことがありますか。

それは人の歳を数える単位が一年だからです。そのために誕生日は一年のうちに一日なのです。

アメリカでは毎年 7 月 4 日を自分たちの独立記念日として守っています。もしだれかがアメリカの人に、なぜその日が 7 月 4 日なのかと聞いたとしたら、彼らは何と答えるでしょうか。仮に彼らがそれぞれ違う人格をもつ人であったとしても、彼らは口をそろえて、その理由は、宗教の自由、つまり良心の自由に従って神様に礼拝をするためにヨーロッパから新大陸に渡ってきた人たちが、当時そこを植民地として占領していたイギリスから独立を宣言した日が、1776 年 7 月 4 日である故この日を記念すると答えるでしょう。

また、大多数の人は、このような質問を受けても 7 月 4 日が独立記念日であることを不思議に思うことはないでしょう。きっと「あなたはアメリカという国を知らないのですね!」と思うだけに違いありません。

もし、あなたの誕生日が 5 月 5 日であればその理由は何でしょうか。あなたが、そのように思ったからですか。あるいは周りの人たちがそのように決めてくれたからですか。もしくは、その日にあなたがこの世に誕生したからですか。あなたはこの答えを知っています。そう、あなたの生まれた日が 5月5日だという変わらない事実にもとづいて、あなたの誕生日は 5 月 5 日なのです。

はじめに、人は神様によって造られたと、聖書は証しています。そして神様はご自分の創造の傑作として造られた人のために、すべての物、すなわち人に必要なすべてのものを造られたと教えています。では、これを記念すべき日はいつでしょうか。このことについても、聖書は明確に教えています。「こうして天と地と、その万象とが完成した。神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである」 (創世記 2:1-3)。

神様が休まれ、聖別し、祝福された日は週の第 7 日目であると聖書は教えています。なぜ 7 日目なのでしょうか。これは 5 月 5 日が誕生日の人に、なぜあなたの誕生日は 5 月 5 日なのですかと聞くのと同じことです。お母さんのおなかから赤ちゃんが生まれ出た日であるという事実にもとづいて誕生日があるように、すべてのものを造り、完成された神様の創造を根拠にして、第 7 日目が記念の日として定められたのです。

ある人は質問するでしょう。それではなぜ一年のうちの一日ではなく一週間のうちの一日なのかと!今日、わたしたちは太陽暦を根拠にしたカレンダーを使用しています。このカレンダーは世界の歴史において数回にわたり変更がありました。しかし、これらの変更にもかかわらず、週の初めの日である日曜日から最後の日である安息日(土曜日)までの一週間の順序と期間には、何の変更もありませんでした。つまり、創造主がはじめに、定められた一週間のサイクル(weekly cycle)は、変わることなくその軌道にしたがってまわっています。ですから、天地創造の記念日である週の七日目の安息日は、他の休日や記念日のように一年のうちの一日ではなく創造の時の計算単位である週(a week)の循環(cycle)にしたがって週末、つまり安息日(土曜日)なのです。

最近、週の初めの日を月曜日とし、最後の日を日曜日に変えようとする動き(カレンダーなど)が見られますが、これはすでに数千年前に聖書の中で預言されたこと (ダニエル 7:25) が成就しつつあることを示しており、あらためて神様のみ言葉である聖書の確かさを実証しています。

そして、この日は創造された人が定めたのではなく、創造主である神様が定められた日です。この世界に存在する人の中で、だれ一人として自分の誕生日を自分で決めて生まれた人はいません。生まれて物事を理解するようになると、自分の知る前にすでに自分の誕生日が存在していたことを知るようになり、また自分を生み、育んでくれた親に感謝の思いを持つようになります。
今日、誕生日の目的は、多くの人に誤解されています。もし、それが自分たちの生まれた日の記念だとすれば、当然自分を生み、養い育ててくれた親の愛と苦労に感謝し、自分たちの親に対する愛情を表現する日になるはずです。

そうであれば、神様の創造によって存在するようになった人は、創造主が定められた創造の記念日に何をしているでしょうか。誕生日と同じように創造の記念日である週の七日目の安息日は誤解され、誤って教えられて、神様が本来定められた目的と意味が忘れられつつあります。これは、非常に悲しい事実であり、また創造主に対する忘恩です。そしてこれは物事の道理をわきまえ、知性を働かせる人にとっては、大きな衝撃であることに違いありません。

神様が人を創造された目的は何でしょうか (イザヤ 43:21) 。それは、神様を畏れること、つまり敬うようになることです。これは造られたすべての人の本分 (伝道の書 12:13) です。神様を敬うというのは、神様に礼拝を捧げることを意味します。それでは、人はいつ、特別に神様に礼拝をすべきでしょうか?疑問の余地なく、それは創造主が定められた週の第 7日目、つまり「主の日」 (黙示録 1:10) である安息日です。ある人々はこの「主の日」について、混同しています。「主の日」は、文字通り主が定められた日であり、決してある人やある宗教団体が定めた日ではありません。人が定めた日は「人の日」であり、教会が定めた日は「教会の日」であって、決して「主の日」とはなりません。主とはイエス・キリストであり、このお方は、ご自分が「安息日の主」 (マルコ 2:28) であると宣言なさいました。

そしてこのお方は「第 7 日目はあなたの神、主の安息である」 (出エジプト記 20:8-11) と仰せになり、その理由として、ご自分が創造主であることを言明しておられます。そうであれば、この事実を理解する人は、どのように礼拝をお捧げするでしょうか。「まことの礼拝をする者たちが、霊とまこと(真理)とをもって父を礼拝する」 (ヨハネ 4:23)。

ここに言われている真理とは何でしょうか?なぜ礼拝に真理が必要なのでしょうか?今日、礼拝をする人が、たくさんいるのに、なぜ神様は真理をもって礼拝をする人々を求めておられるのでしょうか?

真理とは、「キリスト」 (ヨハネ 14:6) であり、神様の「御言葉」 (ヨハネ 17:17) です。それゆえイエス・キリストを個人的な救い主として受け入れ、そのお方のみ言葉に従って創造主に礼拝を捧げることが、いま緊急に要求されている事です。なぜなら、真理なしに行うすべての礼拝行為は偽りであり、また天の神様が忌み嫌われることだからです。
天からのメッセージを聞いてみましょう。

「わたしは、もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音をたずさえてきて、大声で言った、『神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め(礼拝せよ)』。」(黙示録 14:6, 7)。

あなたも「霊と真理」もって創造主である神様に礼拝しませんか。神様は礼拝によるあなたとの交わりを望んでいらっしゃいます。

 

創世記
2:1 こうして天と地と、その万象とが完成した。
2:2 神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。
2:3 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。

ダニエル7:25 彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。

イザヤ43:21 この民は、わが誉を述べさせるためにわたしが自分のために造ったものである。

伝道の書 12:13 事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。

黙示録1:10 ところが、わたしは、主の日に御霊に感じた。そして、わたしのうしろの方で、ラッパのような大きな声がするのを聞いた。

マルコ2:28 それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである。

出エジプト記
20:8 安息日を覚えて、これを聖とせよ。
20:9 六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。
20:10 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。
20:11 主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。

ヨハネ 4:23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。

ヨハネ 14:6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」

ヨハネ 17:17真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。