「第三天使のメッセージそのもの」
信仰による義認とは何か?ということを前回見てきました。
それは、人にはできない神のみわざです。そして、「神にはおできになる」と信じることが、信仰であり、義認を得させるのです。つまり、人にできることは、次の通りです。
受け入れ、信じることが契約の彼のなすべき分である
「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである」(ヨハネ1:12)。
「このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受けいれたのだから、彼にあって歩きなさい」(コロサイ2:6)
「もし人がこの大いなる祝福を正しく評価できるとすれば、それはその人にとってなんという利点であろう!彼には自分の魂を救う働きにおいて神との共労者となる特権が与えられる。受け入れ、信じることが、契約の彼のなすべき分である。
彼はキリストを自分の個人的な救い主として受け入れ、このお方を信じ続けるのである。これがキリストのうちに宿るという意味であり、彼のうちにいつでも、いかなる状況の下でも、彼の品性の表れである信仰―愛によって働き、魂をあらゆる汚れから清める信仰―を表す。キリストがこの信仰の創始者であり、このお方はそれを継続的に働かせることを要求しておられる。こうしてわたしたちは絶えず恵みの供給を受けるのである」(レビュー ・アンド・ ヘラルド1900 年 4 月 24 日)
この中に「キリストの品性の表れ」である信仰とあります。これが、黙示録14:12 にあるように聖徒たちの持っている「神の律法とイエスの信仰」であり、彼らの品性そのものです。
「わたしたちを、熱烈な信じる祈りによって、キリストとの緊密なつながりのうちに置くこと―これがわたしたちの義務である。なぜなら、わたしたちは契約の自分の分について、責任があるからである。なぜなら、残りについては、わたしたちがこのお方のみ旨を行おうとする努力において、何が最も助けとなるかを知り、理解しておられるお方に信頼すべきだからである」(サザン ・ ウォッチマン 1903 年 6 月25 日)
「キリストの言葉は、生けるすべての魂のために備えられる命のパンである。このパンを食べることを拒むということは死である。神のみ言葉にあずかることをなおざりにする人は、命を見ることがない。み言葉を受け入れるとは、み言葉を信じることである。そしてこれがキリストの肉を食べ、このお方の血を飲むことである」(レビュー ・アンド・ ヘラルド1896 年 1月14 日)
ここで、最初に見た内容と合わせて、整理してみましょう。
「神の憐れみの最後の招き」は、「第三天使の大いなる叫び」によって伝えられます。そしてその内容は「信仰による義認」なのです。
しかし、その第三天使のメッセージは、黙示録 14:9-11に次のように記されています。
「ほかの第三の御使が彼らに続いてきて、大声で言った、『おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、 神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼり、そして、獣とその像とを拝む者、また、だれでもその名の刻印を受けている者は、昼も夜も休みが得られない』」。
いったいこの獣の刻印を警告している第三天使のメッセージが、なぜ「信仰による義認」のメッセージなのでしょうか?
ここで、神の戒め、すなわち十誡の内容を見てみましょう。それは大きく二種類のことが命じられています。「しなさい」と「してはならない」です。
この二種類は、はじめから人に与えられていましたが、罪の世では、植物界でもわかりますように、畑があると植えるべき野菜よりも、抜くべき雑草の方がよく育ちます。ですから、抜きなさい、すなわち「してはならない」が多く必要です。
しかし、はじめはそうではありませんでした。ですから、罪が入る前は、「しなさい」の方が多かったのです。
「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない」(創世記
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2:16,17)。
この第三天使のメッセージは、全体をなす三重のメッセージの一部です。それは、第一天使のメッセージ(14:6-7)の「しなさい」で始まり、第二天使のメッセージ(14:8)を経て、第三天使のメッセージ(14:9-11)の「してはならない」に至ります。
「してはならない」に対して、必ず「しなさい」があります。では、第三天使のメッセージの「しなさい」は何なのでしょうか。
「そして、今、神のしもべは彼の最後の厳粛な訴えを人々にした。彼は、言葉では表現できない心の苦しさをもって、避難所があるうちに救いを求めるように訴えた」(人類のあけぼの上巻 94)
「最後の厳粛な訴え」、すなわち最後の神の憐れみのメッセージである「第三天使のメッセージ」を伝える者は、非常な心の苦しさをもって「してはならない」と訴えます。その「してはならない」との訴えは、すなわちそれを避ける避難所があるうちに救いを求めよ、すなわち「しなさい」との訴えでした。
では、第三天使が警告している「獣の刻印を受けない」ためには、どうすればよいのでしょうか。
獣の刻印について詳しく書いてあるのは、その前にある黙示録 13 章です。
「地に住む者で、世の初めからほふられた小羊のいのちの書に、その名をしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう」(黙示録 13:8 英語訳)。
「ほふられた小羊のいのちの書に、その名をしるされ」ること、これこそ、獣の刻印を受けない方法です!ここに下記の答えの鍵を見いだすのです。
「数名の人がわたしに手紙をよこし、信仰による義認のメッセージは、第三天使のメッセージかと問うてきた。そしてわたしは答えた、『それこそ、まさに第三天使のメッセージである』と」(セレクテッド・メッセージ1 巻 372)
「主はその大いなる憐れみのうちに、ワゴナ―長老とジョーンズ長老を通して、ご自分の民に最も尊いメッセージを送ってくださった。このメッセージは世の前に上げられた救い主、全世界の罪のための犠牲をもっと顕著に提示するためのものであった。それは保証人(担保)を信じる信仰を通しての義認を提示し、神のすべての戒めへの従順のうちに表されているキリストの義を受けるように民を招いた。多くの人々はイエスを見失っていた。……すべての力がこのお方の御手のうちに与えられている。それはこのお方が豊かな賜物を人々に施し、ご自身の義という値のつけられないほど高価な賜物を無力な人間に与えることがおできになるためである。これこそ、神が世に与えるようにと命じておられるメッセージである。
それは第三天使のメッセージであり、大声で宣布され、大規模なこのお方の御霊の注ぎが伴うべきメッセージである」(牧師への証 91, 2)。
「わたしたちの天の希望は、キリストだけに集中されなければならない。なぜなら、このお方がわたしたちの身代わりであり、担保だからである」(セレクテッド・メッセージ1 巻 363)
「キリストだけに集中されなければならない」。第三天使が指し示しているのも、キリストです。その第三天使の大いなる叫びはいつ始まったのでしょうか?これからでしょうか?
キリストの義の啓示が大きくなるとき、神のご品性を徹底的に擁護したときに、テストがきます。
第三天使の大いなる叫びはすでに始まった……
「ほかの第三の御使が彼らに続いてきて、大声で言った・・・」(黙示録14:9)。
「テストの時がわたしたちに迫っている。なぜなら、罪を許す贖い主、キリストの義の啓示のうちに、第三天使の大いなる叫びはすでに始まっているからである。これは全地をその栄光で満たす御使の光の始まりである。なぜなら、警告のメッセージを伝えられたすべての人の働きは、イエスを掲げること、すなわち型においてあらわされ、象徴のうちに影をうつし、預言者たちの啓示のうちに明らかにされ、み弟子たちに与えられた教訓や人の子らのためになされたすばらしい奇跡のうちに顕(あら)わにされたとおりに、このお方を世に提示することだからである。聖句を調べなさい。なぜなら、それらはこのお方を証するものだからである。……
もしあなたが悩みの時に耐えたいのであれば、キリストを知り、このお方の義という賜物を自分のものにしなければならない。この義をキリストは悔い改めた罪人に着せて下さる」(レビュー ・アンド・ ヘラルド1892 年 11月 22 日)
「弟子たちはイエスにお尋ねして言った、『いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか』。答えて言われた、『確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。人の子もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう』。そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った」(マタイ 17:10-13)。
エリヤももう一人の御使も「すでに」きた、すなわち、すでに始まったとあります。
なぜ、第三天使の大いなる叫びは、獣の刻印ではなく、義の啓示によって始まったのでしょうか。
なぜなら、第三天使の大いなる叫びが、義のメッセージだからです。このことを見失ってはなりません。
罪を犯した者をあわれまれた神が表わされたのが、神の「義」なのです。
ノアもヨブもダニエルも「義人は信仰によって生きる」。これは、完全に神の憐れみによります。
弟子たちはバプテスマのヨハネのメッセージによってイエスに従ってきましたが、十分にそのメッセージを悟っていなかったために、マタイ17 章の質問をしています。但し、彼らはイエスのみ言葉によって悟りました。つまり、イエスのみ言葉をそのまま受け入れました。
一方、イエスは「すでに来ている」というみ言葉を拒む者からは、「人の子も苦しみを受ける」と言われました。まさに、「彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった」(ヨハネ1:11)。
では、すでに始まったのに、なぜ聞こえないのでしょうか。
「なぜなら、警告のメッセージを伝えられたすべての人の働きは、イエスを掲げること、すなわち型においてあらわされ、象徴のうちに影をうつし、預言者たちの啓示のうちに明らかにされ、み弟子たちに与えられた教訓や人の子らのためになされたすばらしい奇跡のうちに顕(あら)わにされたとおりに、このお方を世に提示することだからである」(レビュー ・アンド・ ヘラルド1892 年 11月 22 日)。
それは、ただ一つ、キリストを掲げていないからです!
第三天使の大いなる叫びは、「イエスを世に提示する」ことによって聞かれるのです。
それにもかかわらず、かえって人の注目を将来の獣の刻印に集めることによって、ますますこの働きを遅らせるようなことが、このメッセージによって義認を受けた者にできるでしょうか?