研究3

最も尊いメッセージ―第三天使のメッセージそのもの―」

前回は、預言されている第三天使の大いなる叫びについて見てきました。それは、神のご品性を擁護することであり、つまり神の律法を守ることでした。
それでは、そもそも第三天使のメッセージとは、何でしょうか。

最も尊いメッセージ―第三天使のメッセージそのもの
最も尊い―それについて、聖書の中で次のように記されています。

「わが愛する者は白く輝き、かつ赤く、万人にぬきんで、その頭は純金のように、その髪の毛はうねっていて、からすのように黒い。その目は泉のほとりのはとのように、乳で洗われて、良く落ち着いている。そのほおは、かんばしい花の床のように、かおりを放ち、そのくちびるは、ゆりの花のようで、没薬の液をしたたらす。その手は宝石をはめた金の円筒のごとく、そのからだはサファイヤをもっておおった象牙の細工のごとく、その足のすねは金の台の上にすえた大理石の柱のごとく、その姿はレバノンのごとく、香柏のようで、美しい。その言葉は、はなはだ美しく、彼はことごとく麗しい。エルサレムの娘たちよ、これがわが愛する者、これがわが友なのです」(雅歌5:10-16)。

「きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである」(ペテロ第一1:19)。そうです、そして第三天使のメッセージによって、主はこの救い主とこのお方の義をご自分の民に提示してくださったのでした。

「主はその大いなる憐れみのうちに、ワゴナ―長老とジョーンズ長老を通して、ご自分の民に最も尊いメッセージを送ってくださった。このメッセージは世の前に上げられた救い主、全世界の罪のための犠牲をもっと顕著に提示するためのものであった。それは保証人(担保)を信じる信仰を通しての義認を提示し、神のすべての戒めへの従順のうちに表されているキリストの義を受けるように民を招いた。多くの人々はイエスを見失っていた。……すべての力がこのお方の御手のうちに与えられている。それはこのお方が豊かな賜物を人々に施し、ご自身の義という値のつけられないほど高価な賜物を無力な人間に与えることがおできになるためである。これこそ、神が世に与えるようにと命じておられるメッセージである。それは第三天使のメッセージであり、大声で宣布され、大規模なこのお方の御霊の注ぎが伴うべきメッセージである」(牧師への証 91, 92)。

値がつけられないほど高価な賜物について、み言葉は次のように述べています。

「高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである」(マタイ13:46)。そして「キリストの義は、純粋な白真珠」とあります(キリストの実物教訓 92)。

では、この高価な賜物はどのように与えられたのでしょうか。

「キリストの比類のない魅力。これこそ、わたしがあなたがたの思いの前に提示しようとしてきたものである。ワゴナ―兄弟がミネアポリスでこれらの見解を提示したとき、それはわたしと主人との間の会話を除いては、この主題に関してわたしが人間の唇から聞いた初めての明確な教えであった。わたしは、神が幻のうちにわたしにそれを提示して下さったから、わたしはそれが非常に明確に見えるのだ、他の人々はそれを一度もわたしのように示されたことがないから、それを見ることができないのだと、自分自身に言い聞かせてきた。そして他の人がそれを提示したとき、わたしの心の一つ一つの繊維細胞が、アーメンと言った」(エレン ・G・ホワイト1888 年原稿 348, 389)。

「多くの貴重な光がこの〔1888 年のミネアポリスの〕集会で提示された。神の律法が高められ、イエス・キリストの福音という枠組みの中で民の前に置かれた。……わたしはフィールドの至る場所で次のような数多くの証を聞いた。『わたしは光、尊い光を見出した。』『わたしの聖書は、新しい書物である』」(エレン ・G・ホワイト1888 年原稿 831)。
「わたしたちの天の希望は、キリストだけに集中されなければならない。なぜなら、このお方がわたしたちの身代わりであり、担保だからである」(セレクテッド・メッセージ1 巻 363)。

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」神は世にキリストを与えて下さった。……わたしたちが罪深い世界の贖いのための天の大いなる賜物のことを考えるとき、……この福音のメッセージは新約聖書の中の最も尊い聖句の一つである。
それが受け入れられるとき、それは受ける者の生活によい行いを生み出し、その価値はダイヤモンドや金にはるかに勝るのである。それには地上生活に喜びと慰めをもたらし、信じる者に永遠の命を授ける力がある。ああ、わたしたちの理解力が恵みによって十分に啓発され、その十分な意味をつかむことができるように!」(レビュー ・アンド・ ヘラルド1908 年 3 月 5 日)。

「イエスがわたしのためにご自分の尊い命を下さったことを考えるとき……わたしはこのお方の愛を語り、聖徒の集会でこのお方の力について伝えることができるように、健康をもちたいと望む。……尊いのは、ただこのお方の贖罪の血である。尊いのは、このお方の義認する義である。このお方はわたしにとってすべてのすべてであられる。……『であるから、信じるあなたがたに、このお方は尊い』。わたしはこれを知っている、わたしはこれを試してきた。それはわたしにとって現実である」(原稿リリース 7 巻 145)。

最も尊いのは-命・血・義

「より頼んでいる(信じている)あなたがたには尊いものである」(ペテロ第一2:7)。

「数名の人がわたしに手紙をよこし、信仰による義認のメッセージは、第三天使のメッセージかと問うてきた。そしてわたしは答えた、『それこそ、まさに第三天使のメッセージそのものである』と」(セレクテッド・メッセージ1 巻 372)。